バックナンバー 螢光板
644号/2014.6月号

ゴースト作曲家による作品を長年、自分(元歌手)の作品としてマスコミに発表し、社会を欺き通してきた事件があった。この元歌手はその曲を売り出すにあたって、自分が聾(極度の難聴)であることを「売り」にしていた。

マスコミの「売り」も作品の評価とは本質的に関係のない作曲家のハンディキャップとセットであった。このハンディキャップ自体も長年の演技であったらしい。長年の欺瞞に耐えられなくなった真の作曲家が自から名乗りを上げて真実を曝露し、一連のからくりが露呈した。今、マスコミや国民にこのようなテーマのとりあげ方に対する自己批判が飛び交っているが何となくそらぞらしい。

というのも状況設定を変えれば、このように作品や技量とは関係のない「弱者」や「不幸な生い立ち」などの「尾ひれ」をつけた「ノンフィクション」はマスコミにあふれているからである。お涙ちょうだいの生い立ちの演歌歌手、家庭が不幸であった甲子園高校球児、親の死を乗り越えたオリンピック選手など、「尾ひれ」はマスコミによる「売り」に張り付ける必需品である。

東日本大震災による被災をうたえばなにかヒューマニスティックな内容であるかのようなトークショーや特番もときに同様の問題を免れてはいない。自分の右手がやって自己批判している一方で、左手では相変わらず同じことをやっている無神経さ。マスコミって困った人たちの集まりとつくづく思う一方で、それを視聴するわれわれもまたもう少し賢くならないといけませんなぁ、と思う。



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