バックナンバー 螢光板
653号/2015.5月号

若い人はその未熟さを盾に、失敗を大目にみてもらえる特権があると思う。ただし、やった事はゲームのように消去できないので、苦い思い出は素直に受け入れなければならない。顧みると冷汗をかく失敗は数えきれないが痛い経験の中にこそ学ぶべき事は多く、若い人には失敗(また失敗により受けた痛手)を将来への貴重な糧と考え、失望せず前へ進んでほしい。

最近しばしばツイッターにバカな写真を載せて公に批判されるニュースを目にする。中には意図的で極めて悪質なものもあるが、他愛のない子供じみた行動が本人の意図を超えて反響を呼んでしまったケースもあるようだ。基本的には、第3者がそれをどう思い、己にどのような結果をもたらすのか想像する能力が培われていなかったのが大きい要因と考えられるが、年齢を問わず想像力が衰弱している昨今、若者だけを批判できない処もある。

ただ今と違い、昔は写真を撮るにも先ずカメラがいるし、多くはお店で現像して貰うことになる。更に、遠くの人に見せるには郵送せねばならない。悠長な話だが、人はその過程の中で行動の是非を問い・問われる暇を得ており、その必要量は今も大して変わっていないように思う。すなわち、先程のツイッター問題は若者だけの問題ではなく、我々の「想像力」という名の「情報処理能力」が老若男女を問わず情けなくも機械のそれについて行っていない、ある意味、踊らされている現状の一端と捉えることも可能だ。何をもって機械を「使いこなしている」と判断するのか、我々は改めてよく考える必要がある。



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