バックナンバー 螢光板
665号/2016.7月号

今年も夏が来た。東京ではお盆が間近である。都心にある靖国神社でも恒例の祭りが開催されるが、今年は露店が無い。同神社の政治的な背景はこの話の主眼ではない。昔ながらの夏祭りの1つとして、暑さやわらぐ夕暮れ、暗くなるに従って輝きを増す行灯や露店の明かりの中を親に連れられ、こちらでは綿菓子、あちらではアタリハズレの屋台、駄菓子にお面の前で駄々をこね、売り子の呼び込みや客の冷やかしの会話などをそこかしこで聞きながら、子どもにとって只々楽しい夏の音、光、風景だった、という話である。それが、酔っ払いや騒音という大人の事情で、飲酒が禁止どころか、露店すら無くなるとは。確かに、近年は子ども達というより大人が喜びそうな店の割合が増えていたような気もする。そういえば、子どもの声がうるさいと文句を言う大人の話をニュースで聞き、子ども達が声を潜めねばらぬような世界を平和な世界というのだろうかと思ったのも最近であった。

これらの出来事を鑑みると、我々、この頃の大人は己の欲求や価値観を優先し過ぎ、あるいは自制心が緩みがちで、結果、子ども達が享受すべき音や光や風景などの経験を搾取してしまっているのではないかと感じる。そのような悶々とする気分の中、先日仕事帰りに入谷の朝顔市に行ってみた。すると、まあ沢山の露店が出ていて、子ども達が大人に混じって楽しそうにしているではないか。最近では珍しくなりつつある浴衣姿の子ども達もいた。全く「恐れ入谷の鬼子母神」、東京の大人もまだ捨てたもんじゃあないと思い直した。



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