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沿革

日本大学の沿革

日本大学は明治22年10月4日、明治維新の功労者山田顕義伯爵によって日本文化の高揚を理念として創立され、平成元年創立100周年を迎えた。初代校長金子堅太郎伯爵から松岡康毅男爵、平沼騏一郎博士、山岡萬之助博士、呉文炳博士、永田菊四郎博士、鈴木勝博士、高梨公之博士、木下茂徳博士、瀨在良男博士、瀨在幸安博士、小島勝衛博士、酒井健夫博士、現在、第13代として大塚吉兵衛博士(歯学部)が就任されている。教育方針は「日本精神にもとづき、思想堅実にして心身ともに健全なる人材を育成する」ことを目的としている。現在大学の機構は法学部、文理学部、経済学部、商学部、芸術学部、国際関係学部、理工学部、生産工学部、工学部、医学部、歯学部、松戸歯学部、生物資源科学部、薬学部の14学部81学科、通信教育部4学部、短期大学部7学科、大学院20研究科をはじめ総合科学研究所、量子科学研究所、教育制度研究所、精神文化研究所、人工研究所その他多くの研究機関と全国に多くの付属高校・中学校等をもつ本邦最大の総合大学である。

医学部の沿革

日本大学医学部は、大正14年3月、日本大学専門部医学科(1回生~20回生)として神田駿河台の地に創設された。大正15年11月駿河台病院開設、昭和10年5月に板橋病院が開設された。昭和17年3月医学部(予科3年、学部4年生)に昇格、同23年大学院学位審査権を取得、昭和27年学制改革による新制大学に移行、同30年進学課程を設置して所謂6年制医学部となった。翌31年3月より大学院医学研究科が設置された。昭和51年6月稲取病院開設、同52年5月総合医学研究所設置、同54年6月総合健診センター開設、平成3年4月練馬光が丘病院開設、同年板橋病院及び駿河台病院に救命救急センター開設。また、平成12年4月創設七十周年記念館(リサーチセンター)が完成し、現在に至る。
現在第15代片山容一医学部長が、3期目を務めている。
なお、板橋病院は第23代・丹正勝久院長、駿河台日大病院は第18代・湯澤美都子院長、練馬光が丘病院は第7代・増田英樹院長がそれぞれ務めている。




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