同窓新聞

第684号(2018年6月号)

2018.07.27

螢光板

幕末の三傑と言われた勘定奉行、小栗上野介忠順の屋敷が日本大学病院の向かいにあったことをご存知だろうか。今、調剤薬局の右に三角の表示が教えてくれる。当時彼ほど官軍から睨まれ、幕府内でも評価が二分された幕臣はいない。彼の残した言葉に「一言以て国を亡ぼすべきものありや、どうかなろうと云う一言、これなり。幕府が滅亡したるはこの一言なり。」がある。徳川幕府崩壊の原因を問われて、こう答えて危機対応を先送りする、無責任な姿勢を痛烈に批判したと言われている。今日でも危機に際してその本質を理解せず、解決を先送りにしてしまうことは、国の財政再建など多々みられる。本質を射抜く言葉は、時を越えて心に刺さるものだ。

しかし、その逆の大切な言葉が変貌してしまう現象には枚挙に暇がない。いわく、「忖度」、「公文書」、「乖離」などなど。自分の言葉とその受け取られ方の乖離は、日常生活でよくある現象である。問題は言葉をかける側が、乖離が起こることを当然予見しておく心構えの有無であろう。われわれの身近な問題としては、患者に病気を生命予後の数字で表現する態度かもしれない。根拠のある医療を提供したいという思いとその数字に対する患者の感じ方には当然、「乖離」があることが普通であろう。要はその後に患者の顔を見て、その人に合う言葉を探せるかどうかではないか。

毎朝定時に駕籠ではなくて馬に颯爽と乗って登城したといわれている小栗の後姿を想像しながら、今日も「乖離」と闘う言葉を探したい。