同窓新聞

第742号(2024年4月号)

2024.05.31

螢光板

「蛍光板」が復活することになったのを機に、本紙の歴史、特に蛍光板の歴史を書いてみた。

昭和25年頃、学生新聞の発行が困難になったこと、一方で同窓会は会報の編集に行き詰っていたことから、有賀槐三先生が学生に「一緒に新聞をやらんか」と話したことが本紙発行のきっかけだという(昭和54年の座談会記録から)。昭和26年1月25日号が第1号で、当時は「日大医学新聞」という名称だった。同年3月28日付で、第三種郵便物の認可を受けた。▽蛍光板の前身は、昭和26年3月号(第3号)に登場しシリーズ化された「外科刀」である。命名したのは、駿河台日大病院(当時)の外科に在籍されていた長沼睦巳で第87号まで続いた。

蛍光板が第1面の同じ位置に初めて登場したのは、第105号(昭和36年4月号)である。名称が変わった経緯については諸説あるが、当時、放射線科に在籍していた榊原先生がかかわっていたのではないか・・という説が有力だ。その後、1面の最下段が定位置になった。

以前は647字以内に収めるのがルールだったが、数年前に紙面文字が大きくなったことで550字と更に文字数が少なくなった。その時の話題、日常生活で気づいたことなどを、新聞編集委員が軽いタッチで書いた記事である。

目次

1面

  • 会長に就任して 吉澤明孝(58回生)
  • 同窓会監事就任挨拶 小林槇雄(43回生)
  • 同窓会監事就任にあたり 西成田 進(46回生)
  • 螢光板

2面

  • 令和6年度 日本大学大学院医学研究科医学部開講式挙行
  • 入学を祝して 同窓会長 吉澤明孝(58回生)
  • 入学を祝して 医学部長 木下浩作(60回生・救急医学系救急集中治療医学分野)

3面

  • 我が学生時代 宮川医院産婦人科院長 日本大学医学部硬式庭球部櫻球会(OB/OG会)会長 宮川智幸(55回生)
  • 医学部退任にあたって 日本大学総合科学研究所教授 早川 智(56回生)
  • 落語に学ぶ雑学(70)身体編 題目 粗忽の釘 現象 物忘れ 佐藤公望(48回生)

4面

  • 学芸 先天性サイトメガロウイルス感染症の医療技術開発〜診断法・治療薬開発、そして次の課題への挑戦〜 小児科学系小児科学分野主任教授 森岡一朗(70回生)
  • 第118回医師国家試験における対策と結果について 医師国家試験対策委員長 学生担当 羽尾裕之(63回生/病態病理学系人体病理学分野)

5面

  • 《日本大学病院医療連携講演会抄録》日本大学病院医療連携について 医療連携委員会 委員長 森 隆三郎(68回生)
  • 非小細胞肺癌化学療法の変遷〜そして現在に至る〜 内科学系呼吸器内科学分野 准教授 呼吸器内科 診療科長 辻野一郎(63回生)
  • がんロコモ〜主に脊椎転移癌への取り組み〜 日本大学病院整形外科センター 上井 浩(70回生)
  • 相澤志保子先生 微生物学分野の教授就任に際して日本大学医学部 病態病理学系微生物学分野 助教 高野智圭(84回生)

6面

  • 4月定例理事会
  • 今、学生は…(108) 翠心会会長 高成田 光(医学部4年生)

7面

  • 能登半島地震の支援活動 当院眼科の取り組み 眼科学分野医局長 林 孝彦
  • 同窓会だより 山形県支部総会の開催
  • 九州支部同窓会

8面

  • 令和5年 桑蓬会(55回 昭和57年卒業)同窓会報告
  • 医局紹介 外科学系小児外科学分野 細川 崇(外科学系小児外科学分野 助教、医局長、79回生